

公開日:
2026.7.27
フィジカルコーチやアスレティックトレーナーの間で、長らく"常識"として扱われてきた指標があります。
ACWR(Acute:Chronic Workload Ratio/急性:慢性負荷比)。
直近1週間の負荷(急性負荷)を、直近4週間平均の負荷(慢性負荷)で割った数値で、「0.8〜1.3の範囲に収まっていればケガのリスクが低い」という、あの"スイートゾーン"の考え方です。研修や書籍で目にした方も多いはずです。
しかし、このACWRという指標、ここ数年でスポーツ科学の世界ではかなり手厳しい再検証にさらされています。今回は、CORISEの「コンディションサマリー」機能がなぜACWRを採用せず、まったく別の設計思想を選んだのかを、実際の論文を交えながら、専門用語をできるだけかみ砕いて解説します。
ACWRの妥当性に最も強い疑問を投げかけたのが、Impellizzeriらの研究です。
この研究では、ACWRを操作してケガの発生率を変えられるという主張は、因果関係を証明した研究が存在しない以上、単なる憶測であり、入手可能なデータの過大解釈にすぎないと指摘されています。また、ACWRという指標には「数学的カップリング」と呼ばれる統計的な問題があることも、複数の研究者から指摘されています。
「数学的カップリング」を平たく言うと、こういうことです。ACWRは「急性負荷(直近1週間)」を分子に、「急性負荷を含む慢性負荷(直近4週間平均)」を分母に使って計算します。つまり同じ数字が分子にも分母にも顔を出しているのです。これでは、たとえ負荷とケガの間に本当の因果関係がなかったとしても、計算の仕組み上、見かけ上の相関が生まれてしまうことがあります。
さらに、「0.8〜1.3が安全」というあの閾値自体も、後から都合よく当てはめられた基準であり、生理学的な裏付けが強いわけではない、という点も繰り返し議論されてきました。
つまり、「比」という計算方法そのものが、選手の状態を誤解させる仕組みを内包している可能性がある、ということです。これがCORISEが「比ではなく、個人基準からの逸脱」を採用した第一の理由です。
2つ目の問題は、「そもそも"平常時"とは誰にとっての平常時なのか」という視点です。
心拍変動(HRV)研究の第一人者であるPlewsらは、HRVの縦断的なモニタリングを通じて、エリート選手一人ひとりに固有の"HRVの指紋"とも言うべき個人差を理解する必要があると論じました。また、エリート選手においては、HRVの増加も減少も、どちらも良くない適応と結びつくケースがあり、集団全体の平均値だけを基準にすると、選手ごとの意味のある変化を正しく解釈できないことも示されています。
つまり、同じ「疲労度3」という数値でも、選手Aにとっては"絶好調"で、選手Bにとっては"かなり危険信号"ということが普通に起こり得るわけです。集団全体の平均や、業界標準の閾値だけを見ていては、この個人差を拾いきれません。
CORISEのコンディションサマリーが「主観的疲労感 2.5/-1.5SD」のように、その選手自身の過去データを基準にした標準偏差(SD)で表示しているのは、まさにこの考え方に基づいています。数値そのものではなく、「その選手にとって、いつもと比べてどれだけズレているか」を見ているのです。
3つ目は、もっと根本的な話です。
Impellizzeri、Marcora、Coutts の3人は、運動というストレッサーが様々な心理生理学的反応を引き起こし、それが多くの器官系における細胞レベルの適応を媒介するとし、この適応反応を最大化するには、選手個人のレベルでどれだけのストレスがかかっているかを、コーチや研究者が管理する必要があると論じました。そのために提唱されたのが、「外的負荷(何をやらせたか)」と「内的負荷(体がどう反応したか)」を区別するという、今では基本になっているフレームワークです。
これをコンディション管理に当てはめると、次のような区別が必要になります。
負荷(LOAD)=与えた刺激(原因)……今週どれだけ走らせた/追い込んだか
状態(STATE/レディネス)=翌朝の準備状態(結果)……その結果、選手の体はどう応答したか
この2つを分けて見ないと、「疲れているのは、練習をやりすぎたせいなのか」「それとも練習量は普通なのに、他の理由(睡眠不足や体調不良)で疲れているのか」を切り分けられません。この切り分けこそが、現場のコーチが本当に知りたい情報のはずです。
最後に、少し専門的ですが重要な話です。
フォースプレートで計測される様々な指標(等尺性ミッドサイハイプル=IMTPなど)に関する研究群では、ピークフォース(最大発揮筋力)のような指標は非常に再現性が高い一方で、立ち上がり初期の力の指標(例えば50ミリ秒や100ミリ秒時点の力)は、ばらつきが大きく信頼性が低くなりやすいことが繰り返し報告されています。研究によって具体的な数値は異なりますが、傾向として「ピーク値は安定、初期の立ち上がり系の指標は不安定」という構図はほぼ共通しています。
これは何を意味するでしょうか。すべての測定指標が、同じ精度で"今日1回だけ"の値を信頼していいわけではないということです。信頼性の高い指標(ICC・CVという統計指標で評価されます)は単発の値をそのまま見てよい一方、信頼性が低めの指標は、1回の数値に一喜一憂せず、複数回のトレンドとして見るべきだ、という使い分けが必要になります。
これを無視して「今日の数値が悪かったから危険」と短絡的に判断してしまうと、ノイズ(測定誤差)を本当の変化だと誤解するリスクが生まれます。
ここまでの4つの問題意識を踏まえて、CORISEのコンディション機能は、次の3ステップの読み方をそのまま画面設計に落とし込んでいます。
まず見るのは「結果」です。主観的疲労感・筋肉痛(DOMS)・睡眠の質などを、選手個人の過去データを基準にしたSD(標準偏差)で表示。集団の平均値や業界標準の閾値とは比較しません。「この選手にとって、いつもと違うかどうか」だけを見ます。
異常を検知したら、次に「原因」を確認します。sRPE(セッションRPE)や筋RPEといった負荷指標を見て、「そもそも今週は高負荷だったのか、それとも負荷は普通だったのか」を切り分けます。ここでもACWRのような比の指標ではなく、負荷自体を個人基準のZスコアで評価します。
もし負荷が高くないのに状態が悪化している場合、原因は練習以外にある可能性が高いというサインになります。実際の画面でも「負荷は高くないのに状態変化。練習外要因(睡眠/生活/疾病)を調査。」というアラートが、この論理に基づいて自動的に表示されます。
最後に、その数値をどれだけ信じてよいかを判断します。指標ごとに「信頼性 高」「信頼性 中」といったラベルを表示し、単発の値で判断してよい指標と、トレンドで見るべき指標を、ユーザーが混同しないようにしています。
ACWRの「0.8〜1.3」という数字は、シンプルでわかりやすいがゆえに、これまで多くの現場で使われてきました。しかしシンプルさの裏側には、
比という計算方法そのものが持つ統計的な歪み
個人差を無視した集団基準の当てはめ
「原因」と「結果」の混同
指標ごとの精度の違いを無視した一律の解釈
という、見過ごされがちな落とし穴がいくつも存在します。
CORISEのコンディションサマリーが目指しているのは、「便利な一つの数字」を提供することではなく、現場のコーチが本来やるべき"読み解きの手順"を、そのままソフトウェアの画面に再現することです。データが増えるほど、正しい読み方も一緒にアップデートしていく。そんな設計を、これからも続けていきます。
Impellizzeri, F. M., Tenan, M. S., Kempton, T., Novak, A. R., & Coutts, A. J. (2020). Acute:Chronic Workload Ratio: Conceptual Issues and Fundamental Pitfalls. International Journal of Sports Physiology and Performance, 15(4), 511–519.
Plews, D. J., Laursen, P. B., Stanley, J., Kilding, A. E., & Buchheit, M. (2013). Training adaptation and heart rate variability in elite endurance athletes: opening the door to effective monitoring. Sports Medicine, 43(9), 773–781.
Impellizzeri, F. M., Marcora, S. M., & Coutts, A. J. (2019). Internal and External Training Load: 15 Years On. International Journal of Sports Physiology and Performance, 14(2), 270–273.
IMTP(等尺性ミッドサイハイプル)の信頼性に関する研究群(ICC・CVによる指標別信頼性の評価)